マーブル模様
四方を山々に囲まれた善光寺平にある高校を卒業した後、私は渡米した。行き先はアメリカ西海岸のカリフォルニア州サンタモニカ市。このまちでは、夕方になると、サンタモニカビーチの崖の上から夕焼けをみることができる。故郷ではみたことがなかった、「空はこんなに広かったのか!」と目が見開いてしまうようなスカイブルーの空。そして緑がかった青色の太平洋。たぶん、マリブビーチのあたりだろうと思うけれど、海岸沿いの端っこあたりに沈んでいく、黄色か、オレンジ色のお天道さん。
太陽が沈んでいくタイミングの"黄金色"の空をみながら、iPodにダウンロードした「君が代」を聴いて、しみじみと故郷を思い出したものだ。「君が代」は、昭和版といったらよいのだろうか、レコード版を録音したような、"ざっざっ"という音が入る。アメリカにきてから友人に教えてもらったPink Floydの"Coming Back To Life"もまた、勇んで単身独立したものの、やっぱり一人の寂しさや孤独さを感じていた自分を癒してくれていたような気がする。
振り返ってみれば、この夕焼けの"黄金色"とは、異なる色が"混ざり合っている"のか。あるいは、"重なり合っている"のか。いまの私には、サンタモニカの夕焼けをそのまま描写することはできない。しかし、国立市の黄金色の空をみて、思うところがある。
国立市の富士見台第三団地の公園では、夕暮れ時に、棟と棟の間から、"黄金色"の空がのぞくことがある。しかしこの夕焼けの空をよくみると、「オレンジ色の太陽」とは単純にいえないのだ。なぜなら、太陽をよくみると、その外側は少し波打つように動いているようにみえ、動きがあるから色が微妙に変化しているようにも思える。太陽をじーっとみていると、"オレンジ"だと思っていた色が、吸い込まれるような黒光りに変わる。オレンジなのか、橙色なのか、よくわからない。"オレンジ"という分節のなかに、言葉では分節できない異なる色が存在している。これらは、「青い空」や「白い雲」についても同様で、もはや単純なラベリング/グルーピングでは括ることができない異なる色が無数に存在している。
さらに、これら「オレンジ色の空」「青い空」「白い雲」が、公園の木々や人間が造った建物、あるいは見落としているようなさまざまな事物が、"混ざり合っている"のではなく、"重なり合っている"ように私は思う。すなわち、異なる別個の存在は、異なる色と形を保ったまま重なり合って「混ざり合っているように見えているだけ」なのだ。
人間同士もまた、同じだ。私たちは決して溶け合い、混ざり合うことはない。それぞれが固有の「私」だからである。しかし、境界線を保ったまま重なり合う。人間は、溶け合わず、境界線を保ったまま重なり合うマーブル模様なのだ。