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学習活動としての市民活動支援・中間支援。「訊くチカラ学習会」について

 2026年1月19日から東京都国立市内で「訊くチカラ学習会」が始まり、3名の住民が参加しました[1]。会場は国立市の中核的社会教育施設である国立市公民館です。市民主体で開いているこの学習会は、毎月1回開催予定。毎回5名前後の参加者を想定しています。この学習会は、メンバー(話題提供者)の話を起点に、他のメンバーが「訊くこと(事実質問をすること)」を練習するという内容です。それぞれのメンバーが、自身の活動においてやりたいことや、悩み等の奥底に近づいていくような場になったらと思っています。結果的に、それぞれが納得感のある活動を行うことができたら尚よいですね。  この学習会が生まれたきっかけは、2025年8月〜9月に「国立市社会福祉協議会」が主催した相談支援・コーディネートの基礎講座[2]及び市民活動についての意見交換会[3]。基礎講座で講師を務められた田中沙知さん(認定メタファシリテーショントレーナー)・永田賢介さん(認定NPO法人アカツキ理事・職員)のお話、参加者同士のやり取り[4]、そして一部参加者の9月以降の展開をみて[5]、市民活動支援・中間支援としての市民主体の学習活動というあり方が可能ではないかと感じました[6]。  ちなみにですが、日本では1998年に「特定非営利活動促進法」(略称:NPO法)が施行され、それから全国の自治体で「市民活動センター」「NPO支援センター」が設置されました。しかし、これらは「もはや20年前のモデルとなってしまった」[7]ともいわれています。さらに、2026年1月30日には、「全国のNPO支援センターの有志でつくる「民間NPO支援センター・将来を展望する会」」が、2年間かけて「民間NPO支援センターとしてめざしたい姿」[8]を取りまとめられ、「NPO法は法成立前、「市民活動促進法」として検討が行われていました。この名称に象徴されるように、私たちが推進したいのは市民が主体となった市民活動です。」と明記されています。全国の市民活動・中間支援者は、市民主体の活動という原点回帰を試みているようにも思います。  さて、国立市住民による市民主体の学習会という試みは、市民活動・中間支援のあり方を再検討する全国的な流れの一つともいえますが、行政の委託等を前提としていない市民の自主的・自発的な取り組みであることは、特徴的かもしれません。この学習会が...

「生きづらさ」を抱える人たちの生涯学習から始まる共生社会の新たな姿—「共生圏の拡張」と当事者の社会参画—

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※以下のエッセイは、筆者が2025年11月に応募した「懸賞論文」の募集で、実践を考察し、まとめたものを一部改編し、公開している。   本エッセイは、「生きづらさ」を抱える人たちが集う生涯学習の取り組みが、多様な人々の出会いのきっかけとなり、各人が「リカバリー」 (その人らしい暮らしを主体的に求める生き方)を共に歩む過程でつながり、「生きづらさ」の有無にかかわらず多様な個人が協力し合う関係が立ち上がることに注目する。また、別々の個人が共に生きる地域が生まれる仮説的概念としての「共生圏の拡張」を共生社会の核とし、多様な人々が参画する社会を構想する。なお、本エッセイは、市民・当事者・実践者として筆者が実際に体験してきたことを基に執筆する。 第1章:「生きづらさ」を抱える人とはだれのことか 1.1. 「生きづらさ」とは  筆者は、20代で双極性障害(いわゆる「躁うつ病」)の診断を受けた。電車では他の乗客が「無職のわたしを蔑んでいる」と思い込み、当たり前に働けない「自分は価値がない」と感じ、気持ちを晴らすために散歩をしても「太陽の光をぼんやりと見つめながら、このまま木漏れ日の中に消えてなくなりたい」と感じる日々を送っていた [1] 。つまり、筆者は「生きづらさ」を抱える人と言ってよいだろう。昨今、「生きづらさ」という言葉を多くの場所で聞かれるようになり、「だれもが生きづらさを抱えている」とも言われるが、一体、「生きづらさ」とは何なのだろうか。「生きづらさ」とは、初めは医療や福祉の現場で使われるようになり、「既存の枠組みではすくい上げづらい障害当事者の困難を表現する言葉」であったが、その意味が拡張され、障害当事者だけでなく多様な人々の「生きづらさ」を含む言葉となっていった [2] 。ゆえに、「生きづらさ」という言葉は、特定の属性や状態などを意味するわけではなく、また客観的な尺度で測れるわけでもない、個人的・主観的で境界があいまいな言葉である。  日本における「生きづらさ」を抱える人の正確な人数を把握することは難しいが、関連する複数のデータを参照してみたい。  そこでまず、筆者にとっての「生きづらさ」の要因である双極性障害に密接する「精神障害」について考えてみる。「精神障害」という言葉は、複数の法制度によって別々に定義されており、定まっていない [3] 。その上で、参考値...